スポーツ選手や芸能人、敏腕経営者など、実績のある人の言葉には力と説得力がありますよね。
誰しも一度は誰かの言葉に勇気づけられたり励まされた経験はあるのではないでしょうか?
僕は元プロテニス選手の『松岡修造』さんの言葉にすごく勇気をもらいました。
社会人になり
- 学生時代とのギャップ
- 仕事でのミス
- 孤独な海外出張
等々に悩み、落ち込んだ時には松岡修造さんの言葉や姿にとても力をもらって乗り越えてきました。
今回はそんな松岡修造さんの魅力を名言や伝説を交えて紹介していきます。
孤独や壁に突き当たって悩んでいる方はこの記事を読めばきっと前向きになり、ポジティブ思考を手に入れることができますよ。
日本で最も熱い男|松岡修造
松岡修造さんといえばとにかく『熱い』というイメージではないでしょうか?
オリンピックの応援サポーターやスポーツキャスターを務めているのでスポーツニュースなんかで目にすることが多いですよね。そういった場面で登場する松岡修造は選手をとにかく熱く応援しています。
自身がスポーツ選手出身なのでスポーツ事においては特に熱い。
感情をいれて応援しているので見ているこちらもつられますよね。引き込まれて一緒に応援したくなります。
でもその熱さ故か2009年の週刊文春の『スポーツキャスター、解説者こいつが出るとTVを消したくなるランキング』ではなんと1位を獲得してしまいました。
その一方ではオリコンの『好きなスポーツキャスターランキング』で2008年、2009年と2年連続で1位を獲得。
この手のランキングは回答者の世代や瞬間的なトレンドにも左右されるので参考程度でしかないのですが、あの熱さは見る年齢層を選ぶということでしょうかね。
オフィシャルサイトはとにかく松岡修造だらけです(笑)僕は好きですがその熱さに触れたい方はGO!
修造チャレンジであの錦織圭選手の才能を見出し指導したことは有名ですよね!
これぞ松岡修造!伝説を一挙紹介
松岡修造さんは持ち前の熱さからか、今までに数々の伝説を残しており、松岡修造を語る上では欠かせないものばかりです。
ここではその伝説について紹介していきます。
有明コロシアムの大声援
1996年の女子国別対抗戦のフェドカップ、日本対ドイツ戦。伊達公子とシュテフィ・グラフのエース対決に駆け付けた松岡修造さんは観客席上段で日の丸の旗を振り回して大声援。
会場を一つにしてさらに大きな声援を集めた話は有名です。
テニスの聖域に漫画を持ち込む
松岡修造さんは漫画『エースをねらえ!』に憧れてテニスを始め、愛読していました。
海外遠征の間は常に全18巻を荷物に入れて携帯していたようで、ついにはウィンブルドンセンターコートにまで持ち込んでいます。
麻酔無しで歯の治療
松岡修造さんの思想は、思想家『中村天風』さんから影響を受けており強く実践しているものは『絶対積極』というもの。
”病も気から、痛みも気の持ちようで感じなくなるんじゃないか?”と考えた松岡修造さんは麻酔無しで歯の治療に挑戦したことがあります。
結果はどうだったのでしょうか?本人のみぞ知るところですね。
ネット上でのあだ名は『炎の妖精』
オフィシャルサイトで公開している『応援メッセージ』を勝手に編集加工した動画がインターネット上の動画サイトに多数投稿されています。このことに対し松岡修造さんは…
”怒るとかそういうことよりも、ホント、よくできているなと思って見ている。こんなに一所懸命に作ってくれて逆に感謝したいくらい”
と発言していて好意を寄せている様子。
人間としての器の大きさを感じさせますね。
即席トークショー開催
2016年の男子国別対抗戦のデビスカップ、日本対ウクライナ戦。
雨の影響で試合開始が遅延。傘を差しながら観客が試合開始を待っていると松岡修造さんがいきなりセンターコートに登場。
その後75分にも亘る即席トークショーを開催してくれました。
観客に楽しんでもらいたいという熱い気持ちがあったのかもしれませんね。
天候にも影響を与える熱さ⁉正真正銘の『晴れ男』
俗にいう『晴れ男』で、松岡修造さんの移動は天候にも影響を与えているという伝説があります。
バンクーバー深刻な雪不足
2010年にバンクーバーで開催された冬季五輪。現地にキャスターとして松岡修造さんが派遣されました。
すると現地の気温が上昇。
雪のコンディションは低下し大会期間中の前半、およそ半分で深刻な雪不足に陥ってしまいました。
イギリスの気温が急上昇
2013年にはゴルフ全英オープンの取材の為にイギリスに向かいました。
するとイギリスが熱波に襲われて気温が急上昇。(イギリスとしては非常に珍しい)
一方で松岡修造さんが日本不在の間は涼しい日が続き快適な日々。
しかし帰国した途端、日本各地で40℃に迫る記録的な猛暑となってしまいました。
季節的なタイミングもありそうですが流石です。(笑)
ソチ五輪
2014年のソチ五輪にも松岡修造さんは取材の為に現地に向かいました。
すると関東近辺は寒波に襲われ、東京では10年以上ぶりに大雪警報が発令される事態に。山梨県では一部孤立してしまうほどの影響がありました。
一方でソチではやはり気温が上昇。雪が解けるどころか海水浴ができるほどに。
バンクーバー五輪に続き、またしても深刻な雪不足に悩まされる結果となってしまいました。
また2014年4月にも松岡修造は出国しています。不在の間日本は桜が満開の中雪が積もるという珍事がありました。
真夏の気温低下
2014年8月オーストラリアで開催された『2014年パンパシフィック水泳選手権』にMCとして現地に派遣されました。
すると出国直後から日本は気温が急低下。真夏にもかかわらず東京の最高気温が25℃を下回る日もありました。
日本大寒波襲来
2014年12月 日本は記録的な寒波に襲われ全国的に冷える日々が続きました。関東地方では例年より20日ほど早い初雪、名古屋では数年ぶりに20センチ近い積雪を観測するほどに。
その間松岡修造さんはスペイン・バルセロナでフィギュアスケートを観戦中。やはりという結果ですね(笑)
その後帰国すると前日から気温が5℃上昇するというミラクルが発生。
松岡修造さまさまですね。
リオ五輪
2016年にリオデジャネイロ五輪でも例年を大幅に上回る猛暑になった期間があるようです。
そしてその間やはり松岡修造さんは現地に滞在しています。
松岡修造おそるべし…(笑)
圧倒的なポジティブ思考
松岡修造さんは圧倒的なポジティブ思考を持っています。これはもとからの性格によるものではなく自らの鍛錬によって手に入れた思考のようですね。修造さん本人曰く、元々はネガティブ思考が強かったようです。
辛い、苦しい場面で壁に突き当たったとしてもポジティブな言葉は人に力を与えてくれ、また頑張ることができたりしますよね。
僕も数年前仕事で大きな失敗(金銭的損失+会社の信頼失墜)をしてしまいかなり落ち込みましたが、松岡修造さんの言葉に触れることで次第に元気になりました。(僕が単純なのもあるかもしれませんが)
”ちょっと自信なくしちゃったな…””なんかやる気でないな…”なんて方は松岡修造さんの言葉に触れてみてください。
当時から現在まで我が家で使用しているのがこちら『日めくりカレンダー』です↓
[日めくり] まいにち、修造! 心を元気にする本気の応援メッセージページをめくっているとクスッと笑ってしまう日もあり単純に面白いですし、なんだか元気が出てきます。
独特な表現や言い回しがありますが内容を読んでみると納得するものばかり。
素直に実践してみようと思えますよ。
中身の一部を紹介しますね。
並べてみると少し暑苦しいぐらい…(笑)
今は新バージョンも出版されてるみたいですね↓
『修造思考』人生は常に楽しく本気
松岡修造さんはその熱さや常識破りの行動から一見変人だと思われがちですが常に本気で生きているだけです。(そんなことが分かるお前は何者やねんって話ですが…)
楽しく本気で生きているからこそ人を惹きつける力があるのでしょうし、さらに慢心することなく常にそれを追求し続けています。
そんな生き方が著書『人生を変える修造思考!』でつづられており、自分の経験を基に人生を楽しく過ごすコツや松岡修造さん流の仕事に関する考えや取り組み方が書かれている面白い本です。
最近なにか思い悩んでいることがある方に読んでほしい。
読み終わった後にはきっと前向きになれる!そんな1冊です。
僕は仕事で失敗し悩んでいる時、出張等の移動時間がある時は常に持ち歩いて読んでいました。
直接的な悩みの解決にはならなくとも読むだけで確実に気持ちがポジティブになれますよ!
修造流生き方
本の内容を少しだけ見出しと共に紹介しますね。
『眠るときはひつじを数えるより、お鮨を食べる』
- 寝る前にワクワクするとよく眠れる
『マクドナルドはレジ近くのポジションで完全攻略する』
- マクドナルドには興奮して入る
- マクドナルドを食べることは世界を食べることだ!
『お店に入ったら、まずひとり店内ツアー』
- 目、匂い、お客さんの幸せ度からこれだ!と思える料理を発見する。
『追い詰められるといいアイデアが浮かぶ』
- 脳は追い詰められると喜ぶ
- 本当の努力は「もうダメだ」からがスタート
『小さな成功でも喜ぶクセをつける』
- ほんの少しの成功でも自分を褒めちぎる
- 一緒に成し遂げた人にも、自分にも感謝する
『勝利の瞬間までイメージできると、実現は近くなる』
- いいイメージは、脳にも身体にもプラスに働く
- イメージできることは、必ず到達できること
絶対面白いですよ!
松岡修造という男|人物と経歴について
ここからは彼の経歴について紹介していきます。
人物
- 名前 :松岡修造
- 出身地 :東京
- 生年月日:1967年11月6日
- 身長 :188㎝
- 体重 :85kg
- 元男子プロテニス選手
現役引退後はジュニア選手の指導やテニス大会の運営、日本テニス協会の理事を務めるなど日本テニス界の発展に注力。スポーツキャスター、タレントとしても活躍し、日本オリンピック委員会スポーツ環境専門委員を務める。
テニス選手
- 利き手:右
- 両手バックハンドストローク
- ATPランキング:シングルス46位、ダブルス95位
ATPツアーでシングルス1勝(当時日本人男子初の優勝)、ダブルス1勝を挙げた。
1995年ウィンブルドン選手権男子シングルスで日本人男子として62年ぶりにグランドスラムベスト8に進出。
また、ウィンブルドン選手権での通算7勝は2015年に錦織圭に抜かれるまでは日本人最多の記録。
反対する両親を説得してのプロ転向だったので親からは資金援助をしてもらえず、限られたスポンサーからの活動資金のみで貧窮に耐えながら世界中を転戦していたようです。
予算を切り詰めるため
- 宿泊は3流以下の安モーテル
- 1室を知り合った外国人選手と折半してシェア
- ランキング下位の松岡修造は汚い床で寝る
等の下積み時代を経験。
また当時はアジアから来た無名の選手だったので練習相手がおらず、各国の選手たちからは誰にも相手にされなかったようです。
でも松岡修造は強くなりたい一心で
- 空いているコートを見つけては他の選手が来るまで黙々と練習
- 1人で練習している選手を見つけては練習相手になってくれないかと声をかけて頭を下げる
- 練習相手を見つけれた時は常に全力で練習に臨み、質の高い練習を相手に提供する
等徹底的に準備し、目の前のことに必死に取り組むことで周囲の信頼を得ていったようですね。
これらは当時のエピソードの一部に過ぎません。今でこそ誰もが認める日本テニス界の開拓者として有名ですが当時は順風満帆のキャリアではなかったようです。過酷な下積みを乗り越えて成功を手にしているんですね。
経歴
ジュニア時代~プロ転向前
- 慶應義塾幼稚舎 → 慶應義塾中等部 中学2年生の時に全日本中学生テニス選手権で優勝
- 慶應義塾高等学校 → 柳川高等学校へ転校 自分自身を鍛えなおす為に名門へ転校を決意
- 国内ジュニア大会で優勝 → ヨーロッパ遠征の権利を得るもチームを優先し辞退。インターハイへ出場 → 三冠達成(シングルス、ダブルス、団体)
- 翌年再びヨーロッパ遠征の権利を得る → 悩んだ末に遠征 → 全仏、全英オープンジュニアで勝利
- 柳川高等学校 → パーマーアカデミーハイスクール ボブブレッドの誘いでアメリカ留学
- ハイスクール卒業 → 1986年プロ転向 両親とは大学進学を条件にアメリカ留学の許しを得ていたが説得の後プロへ
慶應義塾幼稚舎時代は授業中は先生の話はほとんど聞かず、宿題にも手をつけないといった典型的なやんちゃな子だったようです。
人生の転換機である高校転校、アメリカ留学、プロ転向のタイミングでは反対する両親を必ず説得しています。決意の固さが印象的。選んだ道の先は見えず、成功が約束されていたわけではありません。覚悟してチャレンジしていく姿勢は見習うべきところですね。
プロ転向~引退
- 1988年 プロ転向から2年が経ちATPランキング100位入りする
- 1989年 BP国際選手権シングルス準優勝 ハイネケンオープンダブルスで優勝しATP初タイトル獲得
- 同年 両ひざの半月板損傷という故障
- 1990年 リハビリの末に復帰するが再び故障(出場した大会で転倒した際に左足首の三本全ての靭帯断裂という大けが)1年リハビリ生活
- 1991年 選手生命を危ぶまれるほどのけがを克服しツアー復帰。カナダマスターズ3回戦では当時世界ランク9位のピートサンプラスを破った。
- 1992年 ATPシングルスランキングで自己最高の46位を記録。(この順位は2011年10月17日に錦織圭が更新するまで日本の男子選手が記録したシングルス最高位)
- 1995年 ウィンブルドンベスト8 このときの本人の感動の大きさは、コートを駆け回り、最後はコート上で大の字になって空を仰いで表現していたことからもうかがえる。
- キャリア通算オリンピック3大会出場 ソウル五輪、バルセロナ五輪、アトランタ五輪に連続出場を果たした。
- 1998年 引退
ランキング上昇、タイトル獲得と好調の時に故障するも復帰後に結果を残しています。
挫折しそうになっても目標に向かってその時できることを黙々とやり続ける精神的な強さを感じますね。
ウィンブルドンベスト8が決まった瞬間のコートを駆け回り、最後にコート上に大の字になって喜んでいた姿はあまりにも有名です。
引退会見では、引退ではなく『卒業』という表現にこだわり、『限界』『無理』というワードは最後まで発さなかったようです。最後まで自分の意志を貫いた印象を持ちますね。
まとめ|性格は変わらないが、心は変わる!
今の松岡修造さんを見ていると現役時代も順風満帆だったんだろうなと勝手に思ってしまいがちですが、経歴を見ていると苦労や挫折を経験、乗り越えてきたことが分かりますよね。
苦境に立たされたときや悩み、壁にぶつかったときには
- 後ろ向きにならずポジティブに
- その時を楽しむ
- 目の前のことを黙々とやりつづける
- 自分を信じる
↑を実践し実績を出した体現者です。
簡単そうに見えますけどこれらを徹底して実行するのは難しいですよね。多くの人はやはりネガティブに考えがちです。
しかし松岡修造さんは自らの著書で『性格は変わらないが、心は変わる!』と綴っています。
心を変えるためには発する言葉を前向きに変える。これまたいきなり変えるのは難しいですね。
なのでまずはポジティブな言葉に触れましょう。そんなときは松岡修造さんの言葉はうってつけ。
ポジティブな言葉に触れて心を前向きにしてみませんか?
きっと見える世界が変わってきますよ!
今回は以上です。
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